2012年04月27日

32年間、僕は何をしていたのだろう。

 金切声が空を横切ってやってくる。ヘヴィーメタルな40万語を積め込んで打ち上げられたロケットの叫び声である。(40万語といえは『V.』に『モウピー・ディック』を加えた重量だ。)ロケットは眩いばかりの重力の虹を描きながら、僕達の脳天めがけて落下してくる。(これはレトリックに非ず。各章をフィルムのスプロケットで区切った本書は「映画としての小説」であり、それを見ている観客の頭上に、冒頭シーンで打ち上げられたロケットの尖頭が限りなく近づいてくるところで、セブンスのコードを響かせたまま幕切れとなるのである。)空を横切ってやってくる金切声は、SMゲームのムチの音、睾丸を切りとるメスの音、糞を阻孵する音、霊媒を通してやってくる死者の声を包括し、白色プラスチックの経帷子の中に埋もれようとするョーロでハ文明の断末魔の叫び声に収斂する。耳を澄ませば、その中にリルケが、ワグナーが、ユングが、ウェーバーが、ノーマン・O・ブラウンが聞きとれる。一方から〈北欧神話〉の神々が、他方から〈ハリウッド〉の神々──オズの魔法使いとキングコングとローン・レンジャ──が乱入し、微積学と弾道学と有機化学と行動主義心理学に、古代ルーン文字、カバラ、グノシズム、タロット、禅アーチェリー、果ては南西アフリカ、ヒレロ族の神ヌジャンビ・クルンガやキルギス草原の神秘の光がもつれ合う。名前を持った登場人物(人と物)は総勢三百敷十。菜米独露蘭にはじまり、アルゼンチン、日本人、ヒレロ族、更にはクコ、ネズミ、レミング、ドド鳥、コンピューター・ロボット、電球が入り乱れる。主人公は謎のロケット00000、そして00001。こんなものを小説と呼んでいいのだろうか。エール大学の一英文学者は『重力の虹』と『神曲』、『ガルガンチュア&パンタグリュエル』、『ドン・キホーテ』、『ファウスト』、『モウビー・ディック』、『ユリシーズ』をひっくるめ、「エンサイクロペディック・ナラティヴ」というジャンルの設置を提唱している。出版されて七年、寄ってたかって「日常化」しようとする研光者共を尻目に、作品のカリスマ性は未だ上昇する一方だ。


 「『重力の虹』そのミソロジーとクソロジー」 『ユリイカ』(19802月号)



 上は32年前に書いた「トマス・ピンチョンを織り紡ぐ」という短期連載の二回目の冒頭です。若いなあ。目の前のすごいものに圧倒されてハッピーになっている。改行もしてないよ。


 「金切声が空を横切ってやってくる」(A screaming comes across the sky)は、今では『白鯨』の "Call me Ishmael." と並ぶ、アメリカ文学の有名なファースト・センテンスになりました。いま訳すと、一筋の叫びが空を裂いて飛来する なんて感じ?


 40万語と、雑に計算していますが、ワードのカウントでは、33万7750語ほどでした。Against the Day ほどの語数ではありません。ただ「ヘヴィーメタル」と書いているのは本当で、もし「ポストモダン小説」という日本語が軽やかで浮遊した印象を与えるとしたら、それとは逆の、バリバリに密な響き、訳文でも出したいもんだ。

 
posted by GR at 06:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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