2012年05月17日

GR 061 独軍と英軍の心理作戦? いやはや。

「バイバイ・ブラックバード」は、もともとは二〇年代のポピュラーソング。ヨーロッパでは、黒人のエロスを売り物にしたジョゼフィーン・ベイカーのショーなどを通して広まり、後にはスイングバージョンも盛んに演奏された。戦時中ナチスの宣伝省は、ユダヤ人や黒人の手に染まったアメリカ音楽を禁止したが、にもかかわらずジャズ・ミュージシャンに「チャーリー&ヒズ・オーケストラ」バンドをやらせ、英米兵士の士気をくじく替え歌を吹き込ませて流布させた。そのなかに「バイバイ・ブラックバード」の替え歌も含まれる。

これ、面白いので、聴いてみて下さい。(昔のジャズレコードは歌が始まるまでに1分くらい演奏があるのがふつうでした)

歌詞はこんな感じです

Here is Mr Churchill's latest song dedicated to Great Britain:

I never cared for you before
Hong Kong, Burma, Singapore
Bye, bye, Empire

India I may lose too
Then I only have the London Zoo
Bye, bye, Empire

There's no one here who loves and understands me
Nothing but heaps of bad news they hand me

The Yankees are still out of sight
I can't make out wrong form right
Empire, bye bye.


これに対してイギリスがどう反撃したか、それを想像してピンチョンは『重力の虹』に Operation Black Wing 〈黒い翼〉作戦を描き込んだ――とサトチョンは考えています。つまり、V−2ロケットを打ち上げている黒人集団がいるというデマを流してドイツ軍兵士の意気を殺ぐ作戦ですが、ところが実際・・・(話を知っている人は、ご存じですね。エンツィアンたちのロケットのこと。)

〈黒い翼〉のような作戦を実行している主体として、 PISCES*という心理学・異常心理学・超心理学の研究者集団を描き出すところに、ピンチョンの博識が繰り出されるわけですが、PISCES のなかでも首謀格のポインツマンはスロースロップが空からの刺激に対して勃起する秘密を探ろうとして、アブリアクション病棟で、麻酔薬のアミタルナトリウムの溶液を注射して調査します。

*Psychological Intelligence Schemes for Expediting Surrender 降伏促進のための心理諜報計画(誰が報復すべきなのは明記されていない、と、わざわざテキスト本文に書いてある。

アブリアクションとは、トラウマを再体験させることによって、それと意識的に向かい合えるようにするという治療法ですが、ここでスロースロップが向かい合う無意識のコンテンツは、黒人と糞だらけ。

その導入に、「バイバイ、ブラックバード」の替え歌が流れます。というか、スロースロップがの変容した意識がそれを流している、というべきか。

Got a hardon in my fist,
Don't be pissed,
Re-enlist−
Snap−to, Slothrop!

Jackson, I don't give a fuck, 
Just give me my "ruptured duck!"
Snap−to, Slothrop!

No one here can love or comprehend me,
They just look for someplace else to send . . . me ...

Tap my head and mike my brain,
Stick that needle in my vein,
Slothrop, snap to!

この音韻を保ちながら、訳するとこんなでしょうかね。
 どうぞご一緒に節をつけて

  

     ボッキしてーる ペーニス
  つかーんだ 怒るな
  気を つけー、スロースロップ!

  俺のしった こっちゃねー
  "おんぼろダック"  よこせよ  (ruptured duck = 名誉除隊の印のバッジの俗称)
  気を つけー、スロースロップ!

  だれも愛して、わかって、くれない
  俺を回すことしーか、かーんがえてない

  脳天に 電気針
  両腕に 注射針
  気を つけー、スロースロップ!
posted by GR at 06:19| テクスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月07日

GR026 スロースロップの秘密



空に現れる不可視・不可聴のロケット、だがそれにスロースロップは特異な反応をするのだ。空から現れるものに対して謎の反応を示してしまう。だからロンドンのロケットの落下地図と、彼の性愛地図とは一致するんです。その謎を〈彼ら〉は調査しているわけです。これ、まるでアングラコミックのノリですよね。一九七三年、若手で一番の力量を持った作家が、アングラのノリで書いた文章を、『メイスン&ディクソン』のちょっと前の時代の思考に接続しました。雲から現れたピューリタンの神の手。その神さまと帝国主義の最終戦争における復讐兵器との関係を、読者は考えるよう仕向けられます。

 古いタイポグラフィーの効果を狙ったりしているあたり『M&D』の先取りにも見え興味深いので、テクストページの一部をPDFにして貼っておきます。


 

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英国ダブル・サマータイムで六時四三分一六秒、死のドラムのように打たれた空からは、まだ残響の呻りが聞こえる。と、スロースロップの──え、なんだ? そうだよ、GI配給のパンツの中を覗いてみろよ、もそもそ起き上がって、飛びだそうとしているの、なんだなんだ、この勃起、ヘイ、神様、なんのせいだい?

 彼の経歴に、そして、お助けあれ、彼の調査書類[ドーシェイ]にも書かれている。この男、空に顕現するものに、きわめて特異な感受性をもって反応する(しかし、勃起とは)

 故郷マサチューセッツ州ミンジバラの会衆派教会墓地にある、一つの片岩の墓石。そこに彫られた雲から出づる神の手の、その指先は二〇〇年の歳月の火と氷の鑿に削られている。墓碑に彫られた言葉はこうだ──



  一七六六年三月四日 享年二拾九

     ニテ永眠セシ

コンスタント・スロースロップ

     を偲びて


死は自然への負債なり

我は返せり、いつしか君も

 

 コンスタントは見た。それも単に心で見たのではない。俗世の雲間から、目もくらむような光に縁取られた石の手が、彼をまっすぐに指さすのを見たのだ。(……)





ここで「会衆派教会」とはピューリタンのうち、よりピュアなセクトで、新天地を求めて、ニューイングランドに渡った17世紀の移民の多くを占めていました。スロースロップから10代ほど溯った先祖のウィリアムは、後に明記されますが、ジョン・ウィンスロップ総督と一緒にアメリカに渡ってきてアメリカで最初の発禁書を書いている(それ故にイギリスに戻されこの地に眠っていない)という点で、ピンチョンの祖先、ウィリアム・ピンチョン(1590-1662)に関する史実と重なります。子孫のコンスタントも、異端の考えの持ち主だったようで、死を「神」ではなく、「自然」への負債であると言っています。


  なお、緑なすバークシャーの大地とは、『スロー・ラーナー』所収の「秘密のインテグレーション」(一九六四)の舞台でもありました。この短篇は戦争末期から数えて約二〇年後が舞台。元アル中の小学生ホーガン・スロースロップは、タイロンの甥のようです。


 ニューイングランドの墓石の描写がこのあとに続きますが、画像検索してみました。ざっとこんな感じでしょう。このスタイルで、雲の中から神の手が出ているのか。この図像が、ロケット落下とが、どのように繋がるのか。それもこの小説の数多い謎の一つとして継続していきます。続きも訳しておきます。



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その河のせせらぎと丘のスロープの上空にそれを見たのは、息子のヴァリアブル・スロースロップも同じだった。実は家系図の根っこの方へ、九世代・十世代とさかのぼっていくと、みんな等しくそれを見ている。始祖ウィリアムを除いた一家はみな、沼地に接する長い斜面、楡や柳の冷たい影が覆い、ミントやミソハギの落葉の降り積もった豊かな腐土のなかに溶け込み、土と一体化した(密度の濃い文章がまだまだ続きます)


posted by GR at 20:49| テクスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

018 スロースロップの机の上、その美しい散らかりについて



一九四二年以来、この机は一度も木肌を見せたことがない。基底部をなす官僚的屑垢の組成は──積み上がった層を何年もかけてふるい落ちていった数百万個の消しゴムのカス、鉛筆の削りカス、乾いた出がらしの茶とコーヒー滓、砂糖とハウスホールド印のミルクの跡、大量の煙草の灰、タイプリボンから飛びちった細かな黒粉、成分が分解しつつある図書館用糊、粉砕したアスピリン。その上に、四散したクリップ、ジッポの発火石、輪ゴム、ホッチキスの芯、煙草の吸いさし、つぶれた箱、落ちたマッチ、ピン類、ペン軸などが積み上がる。色鉛筆の使い残りは(レア物の薄紫や黄褐色を含んで)全色におよび、木製のコーヒースプーンと、スロースロップの母ナラインが遠くマサチューセッツ州から送ってきたセイヤー社の〈スリッパリー・エルム〉喉飴と、テープ片、紐きれ、チョークがこれに加わって・・・そのまた上の層には忘れられたメモと、使い切った淡黄色の配給手帳、伝椀号の控えと忘れられた手紙と、ぼろぼろになったカーボン紙が載っている。「米兵ジョニーがアイルランドで見つけた薔薇」を含む十二曲のウクレレのコードのメモも見える(「あいつなかなか気の利いた編曲をやるんだ」といつかタンティヴィが言っていた。「アメリカ版のジョージ・フォーンビーってとこだ、想像できるかな」と言われたが、ブロートは想像しないことにした)。その上にクレムルのヘアトニックの空瓶、迷子のジグソーパズルのピースたちの帰属先は、ワイマラナー犬の琥珀色の左目、緑のビロード・ガウンの襞、遠景の雲に描きこまれたスレートブルーの筋、爆撃ゆえか日没なのかオレンジ色に光る雲、空飛ぶ要塞≠フ機体についた鋲、ピンナップガールのピンクの内股・・・それから合衆国陸軍諜報部刊行の『週刊諜報摘要』が二、三冊、螺旋状に弾けて切れたウクレレ弦、糊のついた色とりどりの星の入った箱、懐中電灯の部品、(ときどきスロースロップが鏡代わりに自分のぼやけた顔を映す)ナジット靴墨の缶の蓋。それらすべての上に、廊下を進んだ先のACHTUNG図書館から借り出された参考書類──『ドイツ語技術工学事典』、外務省刊行の『スペシャル・ハンドブック』、『タウン・プラン』──が積み重なり、加えて、だれかが盗んだり捨てたりしない限りはいつも熱心に購読している『世界のニュース』も載っている。


 

 文学史に残るカタログ手法の傑作パラグラフ──少なくとも、このワンショットを組み立てるのに、相当時間&想像力を使ってますよね。


 雑然(反ピューリタン感覚)をポジティブなものとして捉える美学と倫理も見えてきます。


 ウクレレを弾くスロースロップは「アメリカ版ジョージ・フォーンビー」と言われていますが、この名前は Inherent Vice にも出てきました。(ハーマンズ・ハーミッツが、この人のコピーをやったことをドックが覚えていた)。


 ビートルズの「フリー・アズ・ア・バード」のビデオの最後に、後ろ向きで出てくるウクレレ弾きのおじさんがいますが、彼が George Formby です。あのウクレレの演奏自体はジョージ・ハリスンで、実は彼、ビデオの最後に、自分自身を後ろ向きで出してくれと頼んだらしいのですが、ビデオ・アーティストのジョー・ピトカに、現在形のビートルが出ては作品のコンセプトが崩れると断られたみたいですね。本当はそのあとまもなく、ハリスン自身、過去の影になってしまうので、今からでも取り替えてあげられるといいんだけど。

 
posted by GR at 01:11| テクスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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